純水(精製水、蒸留水)を電気分解する - 電解に必要な電圧を考えてみた
水を電解するのに必要な電圧といったとき、水の電解が始まって電流が流れ始める電圧と電解の結果発生する気泡が目に見えるだけの電流が流せる電圧、というのがあります。
希硫酸などの電解液を電解する場合はこれらの電圧は主に何を電極に使うかで決まりますし、電圧値はそれほど変わりません。
一方電解質をあんまり含まない場合、この二つの電圧の意味はまったく異なるものになります。この二つの電圧値も数百V(あるいはそれ以上)違っていたりします。
電解質をほとんど含まない場合電解が始まる電圧はイオン濃度に強く依存し、気泡が見える電圧というのはそれに加えて電極の形状や間隔も関係してきます。
だから単に“純水は○○V”で電解できる、ということは言えません。これらのことを前提に読んでいただければと思います。
この記事ではまず純水の電気分解が始まる電圧についてざっと検討し、次に特定の条件で電解による気泡の発生が認められるようになる電圧を具体的に算出してみたいと思います。
とうぜん次の記事では実際にその電圧で気泡が出てくるのが確認できるか確かめる予定です(「純水(精製水)を電気分解してみた」、「純水の電気分解に必要な電圧は20V!?」)
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水の電気分解に必要な電圧は1.23V以上とされています。電圧を上げて行って電流が流ればそこが電気分解に必要な電圧なわけですが、実際には電極から気泡が出てこないと電気分解しているという実感はわかないと思います。
かろうじて気泡の発生がわかるのは電流密度が1mA/cm-2(約0.01ml/cm2/minに相当)くらいになってからだそうです。これには電気分解が始まるところよりもうちょっと電圧が必要です。希硫酸だと2Vくらいになるとこの状態になるようです(硫酸・希硫酸は入手が困難なので希硫酸の電解実験はしていません。希硫酸だったら(バッテリーを買って電解液だけ使う、というようなことをしなくても)入手できないこともないようなのでそのうち試してみるつもりです。)
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上の1.23Vというのは水の( 2 < pH < 12 の状況下で起きる)
2H2O => O2 + 4H+ + 4e-
2H2O => H2 + 2OH- + 2e-
の(電気)化学反応を起こすために必要な電圧です。
希硫酸だろうが水道水だろうが、また純水だろうが超純水だろうが起きる反応は上と同じはずですから(気泡が見える見えないは別として)どれも1.23V以上であれば電気分解が起きそうなものです。でも実際にはかなり違うようです。
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なおこの記事は主に
渡辺正・金村聖志・増田秀樹・渡辺正義
「基礎化学コース 電気化学」 丸善、2001
を参考にして書いています。私は電気化学の専門家でもないし、勉強したこともないのですが、この本はあんまり予備知識がなくても読めて、かつ直感的に理解しやすい(つまりわかった気になれる)本です。天文計算における「長沢工「天体の位置計算」地人書館」 と同じくらいにおすすめの書籍です。
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現在想定している電気分解や電池の電気的等価回路
これは本を読んだりネットで調べたりたことをもとに想像をたくましくして作った図です。
電気二重層のところにあるコンデンサは実測してみると異常に大きい静電容量を示し、コンデンサーとしての極板の間隔=電気二重層の厚みが極小であることを示唆していますが、実際電解液の中だと電気二重層の厚みは1nm程度(水の分子三つ分)しかないそうです。
中間に抵抗がありますが、水の(電解液の)電気伝導率(電気抵抗率)というのはこれを測定した結果と電極の面積・間隔から算出したものです。
電気二重層のところにあるダイオード(pn接合)は電気二重層で電解が起きたときの電圧電流特性を表現するためのものですが、電気二重層の電圧電流特性はpn接合の電圧電流特性にとても良く似ています。
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実際には希硫酸、水道水、純水、超純水では電解の始まる(つまり電流の流れ始める)電圧はかなり異なります。これについては「基礎化学コース 電気化学」 に実験結果のグラフがあり
希硫酸 1.5Vくらい
水道水 2V弱
純水 10V弱
超純水 数十V
と読み取れます。
この理由なのですが、イオン濃度が低くなるに連れて電気二重層の厚さが増して電極近傍の電気エネルギー密度が小さくなるから反応が起きにくくなるということのようです。
(=反応が起きるだけの電気エネルギー密度にするためには全体の電圧を高くする必要がある)
実際同じ電極を使った「水道水の電気伝導率(抵抗率)を測る - これまでのまとめ」 と「蒸留水(精製水)の電気抵抗率(電気伝導度)を測ってみた」 の実験結果を比較すると水道水の場合電気二重層の静電容量が0.25~0.28μFくらいあったのに対し、精製水の場合は0.002μF程度になっています。精製水の方は電気二重層の厚さが水道水のときの100倍くらい厚くなったと予想されます。
ただ「基礎化学コース 電気化学」 を読むと電解が始まる電圧は電気二重層の厚さに比例するようにも受け取れる記述があります。そうするとこの精製水を電解しようとすると100V超の電圧が必要ということになるのですが、上に書いたように超純水でも50Vもあれば電解が始まるようで、このあたりはちょっと消化不良です(イオン濃度が低いためコンデンサとして機能する電気二重層の実質的な極板面積が小さくなって静電容量が小さくなるということなのかも)
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次に気泡が発生するのが視認できる具体的な電圧というのを考えます。
電気二重層の部分の電流と電圧の関係はpn接合の電流・電圧特性に似たものになるようです。つまりある程度以上電流が流れているときは電圧は電流の対数と線形の関係になります。“ある程度(の電流)”というのはpn接合の場合は飽和電流であるわけですが、電気二重層の部分の場合は交換電流密度になります(おもしろいことに飽和電流と交換電流密度のオーダーは似通っています。電流密度と電流を比べるのもどうかと思いますが)
つまり電気二重層のところだけ着目するとちょっとだけ電圧を上げれば電流は飛躍的に増加します。
ただ二つでの電極の電気二重層の間には電解液があります。電気二重層の部分は電圧と電流の関係は非線形ですが電解液の部分は線形(=オーミック)です。電流が増えてくると電解液の部分の電圧降下が問題になってきます。
希硫酸の場合は二つの電極にできる電気二重層の間の電解液にはイオンがたくさんあるので銅線で接続したように電流が流れます。だからこの部分での電圧降下はほとんどありません。
希硫酸だと電解が始まる電圧よりわずかに高い2Vくらいで気泡の発生が認められるだけの電流になるのは以上に書いたことが理由です。
一方純水ではこうは行きません。「蒸留水(精製水)の電気抵抗率(電気伝導度)を測ってみた」 で使った電極はピンヘッダを利用したもので電極間の距離はわずか1.8mmしかありません。それなのにこの電極間の抵抗は300kΩもありました。これはこの電極間に1mAの電流を流すだけでも300V必要であることを示しています(「基礎化学コース 電気化学」 には超純水だと気泡が発生するほどの電流が流れる前に絶縁破壊(電気化学グロー放電)が起きるというようなことが書いてあったのでほんとうに300V印加して1mA電流が流れるのを確かめられるのかどうかはわかりません)
電気伝導率の測定に使った電極です。(おそらく)ニッケルに金メッキ。
純水の電気分解にもこれおと同じもの(ただし耐圧を高めたもの)を使うつもりです。
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そろそろ精製水を電解したとき気泡が認識できるだけの電圧を計算してみます。気泡が認識できるだけの電流(密度)は1mA/cm^2ということですから、まず電極の面積を求める必要があります。
ピンヘッダの電極面積はどう考えたらいいかよくわからないのですが、電極が細い直方体であるので単純に電極面積=電極表面積と考えます。ピンヘッダの一辺は0.7mm、長さが12mmなので8.4mm^2 * 4 = 0.34cm^2ということになります。
別の考え方もできます。この電極のセル定数の推定値は0.52cm^-1でした。
セル定数 = 電極間距離 / 電極面積 = 0.18 / S = 0.52
から
電極面積 S = 0.18 / 0.52 = 0.35 cm^2
ということになります。だいたい同じくらいの値になりますが、ここではセル定数から求めた0.35cm^2を使うことにします。
気泡が認識できる電流は
電流密度 * 電極面積 = 1 * 0.35 = 0.35
となり 0.35mAということになります。
精製水の電極間距離1.8mmに対する電気抵抗が300kΩですから105Vの電圧降下です。
この精製水が「基礎化学コース 電気化学」 にある純水と同程度のものとすると、この105Vの電圧降下に電気二重層部分の電圧10V程度を加えた電圧、百数十Vが気泡を見るのに必要な電圧ということになります。
「基礎化学コース 電気化学」 のグラフから読み取った純水から気泡が出てくるのを認識できる電圧200Vと比べるとちょっと小さいですが、これはおそらく私の使っている電極の電極間距離が小さいためだと思います。
電解の始まる電圧は電極間距離と無関係ですが、気泡の発生が見える電圧は電極間距離にほぼ比例します。
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「水の電気抵抗(電気伝導度)を測るときの周波数、電圧、波形、温度、電極」
参考
渡辺正・金村聖志・増田秀樹・渡辺正義 「基礎化学コース 電気化学」 丸善、2001
日本化学会編 「教育現場からの化学Q&A」 丸善、2002
「化学のはてな? - 221 純水の電気分解」
「加熱による水の電気分解装置の工夫」
「CiNii - 純水の電気分解実験(私の工夫)」
「哲猫 - 電気分解に於ける電極の溶出 (マイクロスケールケミストリー)」
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本文中の「電解の始まる電圧は電極間距離と無関係ですが、気泡の発生が見える電圧は電極間距離にほぼ比例します」は「?」です。
投稿: | 2017年10月 2日 (月) 09時40分
コメントありがとうございます。
疑問を感じていらっしゃるのは「気泡の発生が見える電圧は電極間距離にほぼ比例します」のところだと思いますが、これは純水(に近い水)に見られる特有の現象です。
電解質を少しでも含む水の場合は水の部分は導線みたいなものなので電圧と電流の関係は電極近辺の状況だけで決まり電極間の距離の影響はあんまりありません。つまり気泡の発生する電圧も電極間の距離にはほとんど関係しません。
一方純水(に近い水)の場合は純水部分は抵抗体のように働くので電圧と電流の関係は電極間の距離に依存します。
気泡が見えるかどうかは電極の電流密度に依存します。電極の形状が変化しないのであればこれは純水中を流れる電流に依存するという意味になります。
気泡の発生が見られた時点で電極間の距離を2倍にすれば抵抗は2倍になり電流は1/2になります。
ここで再び気泡の発生が見られるようにするためには電圧を2倍にして電流値を気泡の発生が見られたもとの値にする必要があります。
記事あるように電解に必要な電圧が数Vであるのに対し、純水部分での電圧降下は100Vのオーダーになります。純水に電気を流す場合は電気分解をしていると考えるより単に(絶縁物に近い)抵抗体に電流を流していると考えた方が実態にあっています。
投稿: セッピーナ | 2017年10月 3日 (火) 23時45分